chip of wood

物語は

 物語は僕たちの心を動かす。
 脈打つ心は鼓動となり僕たちの体を動かす。
 世界の隅っこで始まった小さな一歩は長い距離を歩き続ければやがて道となるだろう。

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ad astra per aspera

 かつてボイジャーは宇宙の何処かにいるであろう人類の隣人へ向けて飛びだった。一枚のレコードにはじめましての挨拶と我々の自己紹介を載せて。
 我々は夢を見ていたのだ。我々人類はかつて夢を見ていたのだ。
 ーad astra per asperaー 「困難を貫き天空の彼方へ」
 

 もし宇宙の何処かに隣人がいるのなら我々を嘲笑ってくれるだろうか?
 重力に縛られ、ぐるぐると同じところを回り続け、夜空を見上げることも出来なくなってしまった我々を笑い飛ばしてくれるだろうか?

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穏やかな詩を

 みなさんお元気ですか。僕は少し疲れてはいるけれどまだ笑えます。
 大切なものを見失ったりもするけれど、泣いて嘆いて誰かに迷惑をかけた末にまた光が差します。

 あれは15年と少し前のことです。僕は明日が来ないことを望んでいました。日々が続くことが苦痛でした。物語にふれることで現実と空想の境界を曖昧にして生き繋いでいました。
 小説を読み、漫画を読み、散歩をする。ふわりふわりと街を彷徨う。そんな存在でした。

 吉祥寺の駅を降りて井の頭公園へと抜ける路。公園に差し掛かる階段。そこを降りる時、僕の口はぷかりとある言葉を口にしていました。
 「楽に死ねる方法ってないのかなぁ ?」
 すると、隣を歩いている見知らぬおばあさんが言いました。
 「老衰は楽に穏やかに死ねるわよ」

 それなら、生き続けて年老いてそれから死ぬしかないな。
 
 何度そのことを思い返してもそれが現実だとは思えなくて、僕の妄想か何かではないかと疑ってしまいます。
 そのおばあちゃんも、そのやりとりも現実かどうかは分かりません。
 でも精一杯生きたあとにこそ穏やかな死があるということは、きっと紛れもない事実なんでしょうね。

 おばあさん。あなたは本当にあの時あの場所に居ましたか?あなたはいまも生きていますか?穏やかな死を迎えられそうですか?それとも、もう穏やかに笑ってこの世を去ったあとですか。
 あなたと交わした会話は一言だけ。あなたの顔も思い出せないし、あなたの名前も知りません。
 でも僕はいまも生きていますよ。穏やかな死を目指して生きてますよ。

 みなさん。お元気ですか ?
 生きることは辛いですか ?
 きっと誰もが辛く泣き出したい日々を超えて今日、そこにいて、僕のこの文章を読んでくれているのでしょう。
 頑張ってみましょう。穏やかな死はあるのです。それは必死に必死に生き抜いたあとに訪れるのです。
 さぁ、死ぬまでに僕はあと何回「おはよう」というのでしょう。明日になれば明日が来ます。未来が来れば未来が待ってます。
 おばあさんが死んだあとにも僕は生きてます。僕が死んだあとにもきっと...。

 それだけで、少し笑顔になれませんか?
 

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 到達点から見える景色は次に目指す到達点へ進むためのきっかけになり、到達点にたどり着いた時、以前見たあの景色が今日という日へ至るきっかけだったのだと確信する。前に進むことで過去は特別なものになる。特別な過去は前に進むための力になる。
 始まりは終わり。終わりは始まり。そして、いつか僕が見てきた素晴らしい景色たちを誰かに手渡し物語の続きを描いてもらうのだ。それを遥か遥か彼方、空の上から僕は微笑みながら見守るのだ。
 さぁ無限の連鎖の中へ。

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報告があります

 ずっと何処かにいるんじゃないかと思っていたんだ。でも何処にもいないんだろうと諦めかけていたんだ。でも、僕は不意に出会ったんだ。
 愛されてひたすらに愛されて愛の中を生きている人に。
 彼女はみんなと同じように悩み、傷つき、苦しみ、もしかしたら、どん底にいるような絶望も味わったことがあるかもしれない。それでも、彼女は常に愛の中にいたのだ。どんな絶望の夜にだって両親の、祖父祖母の、兄弟たちの愛の中にいたのだ。
 彼女は常に救われているのだ。
 その笑顔は何処までも素直で、その言葉は何処までもまっすぐで、だから誰もが彼女を愛さずにはいられないだろう。
 それは彼女が素晴らしいからではない。それは彼女を愛した人たちが素晴らしいからだ。
 
 そんな場所をそんな人たちで世界を満たすこと以外に大切なことなんて本当は一つもなくて、でもそれをするために答えなんてなくて、それをするために必要なものがたくさんありすぎて、だから僕たちは迷い続けてしまうんだ。
 でも、それはたどり着ける解なんだ。それが分かっただけで僕は頑張ろうって気になれるよ。

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