chip of wood

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許すということと諦めるということ

10年前の僕は自分に対しても他人に対しても許せないことがほとんどで、自縄自縛の中で、他人と社会を睨み続けていた。
しかし、年を取り、自分がどうあがいても変わってしまうことに気がついた。人は変われるということは救いでもあるが、自分という存在が普遍的ではないという事実は、幼い僕には受け入れがたかった。

昨日8年前に知り合った友人と久々に会った。
彼は以前よりも若々しく穏やかな顔立ちになっていた。
僕と彼にとって、世界には許せないことがあまりに多すぎて、頑なな僕らには普遍的な物語こそが救いだった。

互いに物語についての想いしか口にはせず、それから相手を知り理解しあう事こそが、正しいコミュニケーションであると信じてもいた。
しかし、変わりたくなくても人は変わってしまう。変わること拒み続けると、入れ物と中身の形の差がどんどん広がり、やがて歪んでしまう。

僕よりも5歳年下の彼は、社会に出て一年が経っていた。彼は変わってしまう自分を許せるようになっていた。失ってしまったものに対して悲しみつつも、新しく手にしたものを大切に思っていた。
しかし、たとえ世間から理解されず、頭がおかしくとも、物語から自分が出した答えを決して否定することはいまでもなかった。物語について、誰よりも知ろうという馬鹿みたいに幼い願望もあきらめたくないとはっきりと口にしていた。

「自分を許すのはいいけど、諦めるのはダセェ」
半年ほど前、それはまた別の友人に言われた言葉。
きっと許したり諦めたり、許せなかったり、諦めなかったり、そんなことがこれか先も続いていくのだろう。

その帰り道、突然見知らぬ番号から着信があった、080からでも090からでもなく、見慣れない文字列の着信番号。
出てみると一年ほど前、台湾へ行ったきり連絡がなかった友人からだった。
突然の近況報告は意外な内容で、詳しく話が聴きたかったのだけど、電波が悪くて途中で切れてしまった。
こちらからかけなおしても「現在使われておりません」というアナウンス。どうやら国際電話は携帯電話ではかけられないらしい。
5分後、「まぁまた連絡するよ」とインターネットを介しての一言。

彼は何を許して、何を諦めなかったのだろう?
そして、僕が何を許して、何を諦めなかったのか。
いつか会う時が来たら、そんな話をしようと思う。

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