chip of wood

そのとき街は0時を廻った

 その言葉を聞くのが怖くてずっと逃げ続けたのに、とうとう彼に捕まってしまった。そして、案の定、手渡されたのは「またね」のない「さようなら」 
 電車は動かなくなったわたしの心を終着駅まで運び続けた。駅員は告げる「この列車は車庫に入りますので引き続き御乗車にはなれません」
 続けられないのか。それはショックだ。とってもとってもショックだ。でも車庫には入りたくはない。車庫はきっと真っ暗だ。わたしは閉所恐怖症なのだ。誰かが手を握っててくれないと闇の中では一歩も動けない。
 だから、降りよう。降りて歩き出そう。とりあえず歩こう。暗闇の中でいつも手を握ってくれた彼はもういないからなるべく明るい道を歩こう。歩かないと、歩いて誰かの手をまた握らないと。
 階段へと向かう人々の中で立ち止まったままの女性が一人いる。彼氏を待っているのだろうか?
 思えばわたしは待つのが苦手だ。そして、何かを求めてばかりだ。彼氏ができるとすぐに調子に乗るし、自信が出てくるのか我儘になってしまう。終いには彼氏だけでなくあらゆる人を振り回すのだ。誰かを傷つけていたことに気がつく頃にはもう手遅れで、そしたら、今度はそのことからひたすら逃げ続ける。
 すれ違いざまにちらりと彼女を見てみる。すると彼女は微笑みかけるように腕時計の針を見つめていた。振り返ると彼女はすれ違った時とまだ同じまま、まるで大切な誰かを待つこの時間さえもを愛おしむように、まつ毛を伏せ時計の針を追い続けていた。
 「...ちくしょー」
 ため息のように声が漏れた。
 わたしは気がついた。彼女は間違いなく恋愛をしているのだ。そして、わたしは恋しかしたことがなかったのだ。彼女のあの笑顔、あれは愛だ。わたしには分かる。なぜならわたしはあんな笑顔をしたことがないとはっきりと言いきれるからだ。
 悔しくて悔しくてわたしは地面を踏みつけるように歩き出した。階段を一段飛ばしで登っていく。「また恋をしてやる。そして、愛してやる。次は恋愛をしてやるんだ」わたしは心の中で強く決意した
 そのとき


 心が震えて怖気づいた夜にはここで彼を待つ。すると不思議と優しい気持ちがどこからか湧いてきて、次第に行き交う人達の中に笑顔を探すようになる。その笑顔の先に誰が待っているのかを想像してわたしも笑顔になる。
 彼が罪を犯したあの日から、その人生が罪を償い続けるためだけのものになるなんてこと絶対にないんだってわたしは願っている。彼が自分を許して、いつか笑顔で帰ってこれる日が来ることを願ってる。
 確信を持てるほどわたしは世界を知っているわけではないし、自信が持てるほどわたしは強くないから、唯々、願っている。
 腕時計の針を見つめる。彼がくれたこの時計の時間は彼と同じ時間を刻んでいて、だから、この左手と彼の鼓動は繋がっているんだ。そんなこと、誰にも言ったことはないんだけど、そう、わたしは願っている。
 もう日付も変わろうとしている深夜。なのに女の子が一人、悠然と列車から降りてくる。ふわふわとカールした黒髪とスラリと長い手足。レースの白いワンピースに、フランスパンみたいにつま先がまるまった茶色い革靴。そして、小さな青い宝石が付いたシルバーのネックレス。物語の中から抜け出して来たような不思議な女の子だった。
 ホームに降り立つと彼女は電車を見送り、そして、そのくりっとした瞳を夜空へと向け、優しく微笑んだ。わたしもつられて空を仰ぐ。するとふいに、夜空に流れ星がまたたいて消えた。
 彼女は円を描くように綺麗に振り向くと、息を呑むわたしに頭を下げた。そして、わたしの目を見て綺麗に微笑みかけたあと悠然と歩き去っていった。その表情は、目を輝かせて宝石箱を開く少女のようだけど、生まれたばかりの愛しい我が子を見る母親のように優しくて、中学生か高校生くらいにしか見えない彼女がそんな表情をするものだから、なんだか可笑しくてわたしはくすりと笑ってしまった。
 「ありがとう」
 何故かわたしの口は独りでにそんな言葉をもらしていた
 そのとき


 電車から降りると涼しい風が私の足元を駆け抜けた。その中にある花の香りを便りに彼女を見つけ出す。彼女は今日も独り願い続けている。私はそのことを愛おしく思う。
 彼女が胸の奥でずっと綴り続けてきた宛名のない手紙。
 それは空を廻り今夜ここへと帰ってきた。
 
 今日と明日、昨日と今日。時の静寂にそれは訪れる。
 それを彼女に知らせたくて私はここにいる。
 夜空を見上げる。宇宙が広がる。
 愛を仰ぐ。
 そこには時間と空間を超えて廻り続ける光


 そのとき
 街は0時を廻った。




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