chip of wood

クラスメイト3

 都心から電車で一本。二十分ほど下った所にわたしの町はある。治安が良いことだけが取り柄のなんてことない町だ。駅を降りると最近開発され無駄に広くなったロータリーと、侘びしさを感じない程度の規模の商店街がある。ゆるい坂道を5分も歩けば直ぐに住宅街が顔を出す。古い家と新しい家が混ざり合い、計画性とは無縁の入り組んだ道。宛もなく裏路地を歩いているとすぐに行き止まりにたどり着く。
 かつて受験勉強からの逃避としての散歩をくり返していたわたしたちは、勝手知ったるもので人気のない裏道をすいすいと抜けていく。雪が高く降り積もった小さな神社の境内を横切り、瓦屋根に挟まれた細い路地を通り抜ける。国道は溶けた水でびしょびしょ。足元を汚さぬように、慎重かつ大胆に、ぴょこぴょことジャンプしながら信号を渡る。コロは短い手足を小刻みに動かし雪道を弾むように進んでいく。鼻の頭に付いた雪をフルフルと首を振って振り落とす様が可愛くて、思わず微笑んでしまう。
 「あっ! 見て由美、信号機から氷柱が下がってるよ」
 見上げると確かに信号機から小指ほどの長さの短い氷柱が4本生えている。
 「ほんとだ。東京で見たのは初めてだ」
 「小さくて可愛いね」
 「可愛い… かな? なんかすごく弱そう」
 北国で見る大きい氷柱に比べて、東京の氷柱は触れたらすぐに取れてしまいそうで心もとない。
 「テレビとかで見る雪国の氷柱ってすごく鋭くて怖いじゃない。こっちの方が私は好きだなぁ」
 「わたしは武器に出来そうなほど強そうな氷柱が好きだ」
 「由美は氷柱に男らしさを求めているんだね」
 「いや、そういう分けではないんだけどね。… でもさ。長い氷柱が綺麗に並んでいるとさ、雪国って感じがするじゃない。そこに光が当たるとちょっと幻想的だし」
 あまり認めたくはないのだけれど、わたしはロマンチックなものが好きなのだ。なんで認めたくないのかと言うと似合わないし恥ずかしいからだ。わたしの中のロマンスを求める部分は、私の中のわたし姿をチグハグにしてしまう。
 そんな自意識にまみれたわたしの思考を打ち破ったのは、何故か雪道の中をランニングしながら向かってくるクラスメイトの宇田川くんだった。
 「おっ!西野井(いりのい)さんと榎本さんじゃない。おはよう」
 「おはよー」
 「おはよう宇田川くん」
 元気に挨拶を返す秋ちゃんにわたしも続く。そして、濡れている宇田川くんのジャージと靴を指さした。
 「それ、完全に中まで水染みこんでるよね?」
 「うん。もうビショビショで最悪だよ」
 渋面を作り、パタパタとジャージの裾をはたきながら惨状を訴える宇田川くん。 
 「… なんでこんな日にランニングしてるの?」
 「日課だから。朝練がない日は毎日ランニングしろとキャプテンに言われてる」
 なるほど。宇田川くんはサッカー部だ。わたしたちの高校は公立の割にサッカー部が強い。何年か前には全国大会にも出場していたはずだ。なのでそれなりに練習は厳しいとは思うのだが、まさか、雪の日に課せられたランニングを休んだだけで怒られたりはしないはずだ。
 「いや、多分、サッカー部の中で今日ランニングしているの宇田川くんだけだと思うよ」
 「…そうかもしれない。でも日課だからな」
 「宇田川くんは偉いねぇ。わたしなら絶対さぼるけどなぁ」
 秋ちゃんがしきりに感心している。いや、この場合はランニングしなくても絶対さぼりにはならないだろ。
 「確かに、走らなくても怒られはしないと思う。でもなんとなくそういうのは嫌なんだよ。雪が積もっていたって絶対に走れないって分けじゃないだろ?走りにくいだけだ。だったら俺は走る」
 「いや、走りにくいってレベル超えてるよ」
 「いいんだよ。俺が好きでやっているんだからさ。それより二人は犬の散歩?それこそ、こんな日に散歩している犬なんてあまりいないと思うぞ」
 わたしのツッコミに対して一切屈しない宇田川くん。彼には彼の筋の通し方があるのだろう。
 「あはは。それもそうだねぇ。わたしたちも人のこと言えないじゃない。でもコロは雪が好きだからなぁ」
 秋ちゃんは笑いながらコロの頭を撫でる。
 「名前コロっていうのか。撫でてもいい?」
 「うん。いいよいいよ。基本無警戒でお気楽な子だから誰に撫でられても喜ぶよ」
 「よし!」
 何故か一度気合を入れてからコロに近寄る宇田川くん。コロはつぶらな瞳で宇田川くんを見上げる。宇田川くんはそっと手を伸ばし頭を撫でる。
 「おっ!しっぽを振ってるぞ。嬉しいのかな?」
 「そうです。コロは喜んでいます」
 愛犬が可愛がられてごきげんな秋ちゃん。コロはあまり頭は良くないけれど、人懐っこいので誰にでも愛される。
 「俺、動物って飼ったことないんだけどさ。やっぱり可愛いね」
 コロと通じ合った宇田川くんはとても嬉しそうだ。
 「よし。なんか俺やる気出てきたよ。実は雪道が辛くていつもよりもコースを短縮しようかどうか悩んでいたんだけど、今日もちゃんと10km走ることにするよ」
 「大丈夫? 無理して転んだりしたら大変だよ」
 秋ちゃんは心配そうだ。確かに、こんな雪道を走るのは危険だ。転んで打ちどころが悪ければ怪我をしてしまう可能性もある。
 「いや、実はもう3回ほど転んでいる…」
 「一体何が宇田川くんをそこまで駆り立てるの…?」
 もはやわたしはちょっと混乱してきた。
 「俺って別に真面目って分けじゃないと思うんだよ。一度始めたことは最後までやり遂げなくちゃとか、与えられた課題はしっかりこなさなくちゃとか、そういうことじゃなくて、習慣を変えるのが怖いだけなんだよ。サッカーだって『やってみるか?』って親に聞かれて何気なく始めて、そのまま何気なくずっと続けてる。だから信念なんてのはないんだ。ただずっと続けていることをやめるってのが俺は怖いんだよ」
 宇田川くんの言うことは少し分かるような気がした。長い時間をかけて積み重ねてきたものでも、失うのはきっと一瞬で、そして、多くのものは一度失ったら簡単には取り戻すことは出来ないのだろう。わたしが失いたくないものはなんだろう? それ以前にわたしが積み重ねてきたものはなんだろう? 気ままにやりたいことをやりたいだけやって生きてきたわたしには宇田川くんのように積み重ねてきた特別な何かは何一つなくて、それを少し寂しく思った。
 「宇田川くんはいまの自分を失いたくないんだね」
 「… そうか。確かにそうかもしれないな。上手く言えないけど、自分が変わるのは怖くて、自分が好きってわけでは決してないんだけれど、でも、いまのままでいたいって思ってるんだろうな」
 わたしの言葉を少し吟味したあと、宇田川くんは答えた。
 「宇田川くんは真面目なんじゃなくて臆病者なんだよ」
 秋ちゃんのその一言にちょっと驚いてる宇田川くん。そんなことを言われたらいい気はしないだろうけど、宇田川くんは苦笑して秋ちゃんの言葉を飲み込んだ。
 「確かに、俺は臆病者だ。変化が怖いんだな」
 「でもそれだけ持っているものがあるってことだよ。何も持っていなかったら、変わっても別に平気じゃない? 変わりたくないってことは手放したくないものがあるんだよ」
 なるほど、秋ちゃんの言うことはもっともだ。面白い、宇田川くんは狐に化かされたような顔をしてる。
 「多分だけど」と前置きして秋ちゃんは続ける。
 「何気なく始めたことだらけの宇田川くんだけど、何気なくいまの自分が気に入っちゃってるんだよ」
 宇田川くんは受け取った言葉を噛みしめるように難しい顔をした後、何やら納得がいったようで一度頷いたあとで口を開いた。
 「そうだな。俺はサッカーもそうだし、毎日、ランニングを続ける自分のことも、ランニングそのものも、割りと好きなのかもしれないな」
 「好きでもないのにこの雪道を走ろうというのなら宇田川くんは完全にドMだね」
 「それもそうだな」
 わたしの軽口に笑顔で答える宇田川くん。手にしたものの大切さは失うまで分からないとは言うけれど、失ってしまってから気がついてもそれにどれだけの意味があるのだろう。わたしたちは日々、自分の手元を見つめ、手にしたものを確認し続けなればならないのかもしれない。そんなことをわたしは、思ったのだった。
 「なんか結構話し込んじゃったな。そろそろ行くよ。ちょっとペース上げないとな。学校に間に合わなくなってしまう」
 「本当に怪我だけはしないようにね」 
 「また学校でね」
 「おう。なんかすっきりしたよ。ありがとう。じゃあなー」
 秋ちゃんとわたしは手を振り宇田川くんを見送った。
 「宇田川くんは鈍いのかな?」
 無意識にわたしはそんな疑問を呟いていてた。
 「本当に鈍かったら、今頃、ランニングどころかサッカーもやめていると思うよ」
 「変わりたくはないって思ってはいたんだもんね」
 「うん。漠然とだけど、気がついてはいたんだよきっと」
 そんな漠然としたものを探り当ててしまう秋ちゃんは、ちょっと尖すぎるのかもしれない。
 「しかし、今日は色んな人と出会うな。朝、相沢くんとも出会ったんだよ。新聞配達してた」
 「へぇー。相沢くんとも出会ったんだ。なんかわたし、今日は由美は色んな人と出会うような気がする」
 「秋ちゃんの感は当たるからね。覚悟しておく」
 「別に知り合いに出会ったからって何か不都合があるわけじゃないでしょ」
 「それはそうだけどね。さすがにこれ以上出会ったら驚くよ」
 本日出会ったクラスメイトは宇田川くんで三人目。なんとも不思議な朝だ。
 そんな話をしているうちに、わたしたちは多磨霊園へとたどり着いた。広い敷地は見渡すかぎりの白。雪かきはまだ行われていないようで、この中で秋ちゃんの家のお墓まで辿り着くのは大変そうだ。
 「あれ?もしかして、あそこにいるの衿沢さんじゃない?」
 「えっ? 本当? 秋ちゃんの感は本当に当たるから怖い」
 わたしたちの進む先、墓地の奥の方から、のんびりと、一人の女性がこちらに向かって歩いてくる。特徴的なストレートで綺麗な長い髪、すらっとした体つきはどうやら本当に衿沢さんのようだ。

続く
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