chip of wood

穏やかな時間

 僕は喫茶店でウインナーコーヒーを飲んでいた。
 井の頭公園のすぐ近く、雑貨屋さんや服屋さんが立ち並ぶ一角、控えめな看板の脇にある階段を登って右手、古着屋の先の木製のドアを開けると武蔵野珈琲店へたどり着ける。
 落とし目の柔らかい照明、木製でクラシカルな内装、カウンターの中の棚には上品なコーヒーカップが並んでいる。クラシック音楽が控えめに流れる店内で、お客たちは静かな時間を楽しむ。珈琲を味わい、手作りのケーキに舌鼓をうつ。静かに語り合う恋人たちがいれば、マスターとの世間話に興じる人もいる。
 僕は予想以上に甘い生クリームに戸惑いながら、小説のページをめくり続ける。外で活字を読むのは苦手な癖に、僕が喫茶店に入ったのは、外へ出たかったがお金が無く他に行く場所がなかったからだ。
 春の気配を日差しの中に感じつつも、道端には未だに雪が残っている。刺すような冷たい空気は、季節は未だに冬であるということを僕に再認識させた。井の頭公園をぶらぶらしていた僕は、これ以上の外歩きを断念し暖かい喫茶店に逃げこむことにしたのだ。
 しかし、いくら時間が経っても両手の指先は冷たいままだ。手が冷たい人は心が暖かいという迷信があったような気がする―いや、手が冷たい人は心も冷たいだっけか? なんにせよ、指先が冷たくては本のページをスムーズにめくれないし、財布から小銭を取り出すのも一苦労だ。
 長い長い冬の寒さが僕の体内に溜まりに溜まり、指先を凍らせてしまったのだろうか? もう僕には、冬が終わりやがて春が訪れるということが信じられなくなりつつあった。このまま、空も、街も、僕の心と体も冷え込み続け、やがて死んでしまうのではないだろうか? 
 そんな諦めに支配されていた僕に取って、朝起きて僅かな春の温もりを感じた時の喜びは、まるで応募した覚えのない懸賞に当たったかのようだった。そして、調子に乗って街へと出て、直ぐに現実を思い知らされた分けだ。
 
 
 一時間ほどで連作短編の内の2つの物語を読み終えると、僕は本を閉じ、熱の冷めつつあるウインナーコーヒーを飲み干した。何気なく、カウンターの中で働くウエイターの動きを目で追う。彼は急ぐでもなく、のんびりでもなく、程よいペースで皿を洗い、お湯を沸かし、ケーキを切り分ける。その動きが止まることは一度としてない。僕の他にお客さんは三組ほど、決して忙しくは無いと思うのだが、それでもやることは多いのだろう。マスターは20分ほど前に何処かへと姿を消していた。
 僕は思考することにした。
 しかし、思考の果てに病へとたどり着いた経験を持つ僕は、本能的に思考することを避けている節がある。そして、避け続けた結果、いつのまにか思考することが出来なくなっていた。しかし、それでもなんとか思考してみる。
 季節について考える。流れる時間の速さの変化について考える。いまの自分の状況について考える。これからの僕の人生について考える。人生を支配する運命について考える。
 ずいぶんと考えることが下手くそになっていた。これはちょっと練習する必要がある。
 僕は外ではなく己の内に、もう一度何かを見出したくなったのだ。自意識だとか心象風景だとか言われる何かにもう一度飛び込んでみたくなったのだ。
 かつて僕は大きな力を信じていた。迷いの中を彷徨う自分に訪れる不思議な出会い、必然で起こる偶然、そういったものを信じていた。いま思えば、それは偶然を必然だと思い込み進むことで運命へと変えていただけなのかもしれない。それは本当に運命だったのか? その疑問の正解を知るものはこの世には存在しない。しかし、その質問に答える権利を有するものは一人だけいる。それは僕だ。僕だけが答えられる。それはとても虚しいことではあるけど現実だ。
 僕は物語が好きだ。だから僕の人生も物語であるべきだ。しかし、世には面白い物語もあればつまらない物語もある。ドラマチックな冒険譚もあれば、ただただ平凡な日常が続くだけの物語もある。
 30年間を振り返ってみる。悪くはないが良くもない。現時点では60点と言ったところだろうか。
 これからどうすれば僕は楽しい物語を獲得できるだろう? そう簡単に答えは見つからないし、ほとんどの事象において明確な答えなんてものが無いことだって僕はとっくに気がついている。
 強烈な思い込みが必要なのだ。しかし、もはやそれだけ強い意志の力がいまの僕に持てるだろうか?分からない。
 僕はブレンドの珈琲を追加で注文する。ここは二杯目に250円でブレンドのコーヒーが飲めるのだ。僕の好みとは外れた、ちょっと苦味が強い珈琲を口に運びつつ思考を続ける。
 この場所では優しく穏やかな時間が流れている。だからだろうか? 席を立ちトイレへと向かう僕の歩調は普段とは打って変わってゆるやかだ。本を鞄へと仕舞う時も、カップを口元に運ぶ時も、僕の動作はのんびりと静かで、まるでじっくりと体を動かすことを楽しんでるようだ。
 目に映る風景、耳に入る音、香りや温度、そういったものが、僕の速度を心の形を支配しているのかもしれない。そして、この場所は居心地がいいかと言うと、決してそんなことはないのだけれど「悪くはないな」と僕は思ったのだった。穏やかな時間というものに上手く付き合えるようになればきっと心の形は丸くなり、僕の流れる時間は穏やかなものになる。
 それは正しいことだとはやっぱり言えないけれど、間違っていることでもないのだ。それを正しかったと数年後に証明できるか? と言われれば、それさえも疑問だ。ただ、いまよりも優しくなれる気がする。
 僕は席を立ち、会計を済ます。「ありがとうございました」と言うウエイターは、案の定、心の込め方のバランスが抜群だった。すごく感謝している様子もないけれど、業務的では決してなかった。珈琲2杯で900円。このうち、穏やかな時間を享受するために払った金額はいくらなのだろう?
 僕は彼に習うべく、ちょうどいいバランスを心がけて「ごちそうさまでした」と告げるとお店をあとにした。
 結局最後まで、指先は冷たいままだった。
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

すべてのことが必然であっても
すべてのことが運命であっても
いつでも幸せは見つけられる
楽しい物語を紡いでいくのは
あるがままの心にこそある

太郎 | URL | 2014-02-22(Sat)02:42 [編集]


幸せを探すこと、いつしか忘れていました。
僕はこの一年、何を求めていたのでしょう。
あるがままの心は、誤魔化し続けた結果、受け入れるのがすごく辛く、痛みを伴う作業になってしまいました。でも少しずつ前を向けたらいいなと思います。
言葉、ありがとうございました。
笑顔で生きるにはどうしたらいいのか?それが大切なことのような気が、いまはしています。

木片 | URL | 2014-02-22(Sat)02:53 [編集]