chip of wood

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 「できれば多くの人に読んでもらいたいな。でも誰も読んではくれないのだろうな」
 僕はこのブログをそんな風に思って書いていました。でも、ほんの数人ですが「ブログ読んだよ」と言ってくれる人がいて、確かに僕の文章は誰かに読まれているのだと知りました。
 きっと、顔を突き合わせ目を見て話せば僕の言葉を聞いてくれる人はいるでしょう。僕と誰か、その二人がその場にいる時、基本的には僕以外は言葉を発しないのだから。
 しかし、ここには多くの言葉であふれています。絵もあり、音楽もあり、動画もあります。双方向でのコミュニケーションだって可能です。そんな中で僕の文章を読んでもらえるということは、なんでしょうね...。よく分かりません。でも純粋にそれはとても嬉しいことだと僕は感じます。

 あけましておめでとうございます。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?お餅は食べましたか?どんな初夢を見ましたか?お年玉をもらいましたか?お年玉をあげましたか?
 お年玉をもらうこともあげることもないというのはなんだかちょっと寂しいですね。
 もう、僕はお年玉をもらう年ではないので、来年は誰かにお年玉をあげられればなと思います。
 年明けなのにもう来年の話をしてしまいました。気が早いですね。
 今年の話をしますと、特に予定はこれといってないのですが、変わりたいなと思っています。どう変わりたいかなんてそんなの言葉に出来ないしするつもりもないのですが、ただ、目に写るもの、鼻から吸い込むもの、耳が捉えるもの、手が触れるもの、足が踏みしめるもの、肌が感じる熱と冷気、そういったものが変われば、自ずと思考が変わり、心が変わるのでしょう。そして、心が変われば、体が変わり、変わった体はいままでと違う方向へ向かって一歩を踏み出すのでしょう。

 春が来る。夏がくる。秋が来る。また冬が来る。時を刻みながら繰り返し巡り続けるというのはすごいことです。また来年僕は「あけましておめでとうございます」と誰かに言うのです。僕の母も、きっと50回は言ってきたし、顔も覚えていないおじいさんもきっと50回は言っているでしょう。
 千年も昔のこの場所、武蔵の国の片隅、三鷹という名前が付く前のこの地にも、もしかしたら小さな村があってご近所で「あけましておめでとうございます」と言い合っていたのかもしれません。西側にある国々でそれは「A HAPPY NEW YEAR」と言うことはきっと彼らは知らないでしょう。でも日本人の誰もがそれを知らなくても、西洋の国々では千年前も新年を祝っていたのです。
 そして、僕がいま聴いているJoy Williamsの祖先もきっとそうでしょう。彼女はアメリカ人だけど、祖先はヨーロッパにいただろうから、ユーラシア大陸の西の方で誰かに「A HAPPY NEW YEAR」と言っていたのでしょう。
 彼らの誰が想像したでしょう。
 自分が暮らすこの地に、異国の全く違う言語の音楽が流れることを。
 誰も想像できないでしょう。
 自分の子孫が海を渡り未知の大陸で根を下ろし、やがてその一人が歌を作り、その歌がまた海を渡り、大陸の東の端、そのさらに東にある島国で聴かれることを。
 いま、僕達の目の前にある当たり前はきっと奇跡みたいなもので、でも、その奇跡を喜ぶすべが僕には僕達には分からなくなってしまったんです。
 
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